人事を尽くし天命を待つ。

すごい直球の言葉です。

意味もスッと入ってきます。理解しやすい言葉に訳されています。

ですが

この人事って?尽くすって?天命?待つ?

をじっくり考えるとわからなくなります。日本語話者の僕はぼんやり受け取ることはできますが、

外国人に説明する時、知識や経験が浅い子どもにも筋が通る言葉

そんな言葉が真実をついた言葉であるはずです。

そんなことを考える時間(ひま)があるのでこの言葉の背景をディグっていきます。

注意点

先に言っておきますがこれはおれの見解です。おれの解釈です。

歴史上の人物の思考をそのまま知ることはできません。会ったこともねえし。

そもそも今残っている言葉も、「誰か」が「書籍に残るただの文字」から「自分の解釈したいように解釈してきている」だけですからね。本人の本意については誰も100%正しい意図は再現できません。

ってのを初めに言っておきます。

まずはそのただの文字(事実)の確認から

自力を尽くし天命を待つ 

これは儒学者の胡寅(コイン)と言う人の言葉です。

彼が歴史から学んだ私見を「読史管見」と言う書物にまとめた際の言葉です。

原文はこちら

謝公以宋社存亡決之 盡人事聽天命。蓋無遺策。

訳は

国の存亡のために頑張って戦った。やるべきことはやった。あとは天命にまかせる。手落ちはないはずだ。

って時の言葉ですね。

現代の見解

今の時代の解釈と原文の解釈はほぼ一致していると思います。

「やりきった。全力注いだ。あとは結果待つのみ。」ってことですよね。たぶん。

じゃあ人事=努力。天命=結果。みたいなことなんですかね?

なんかそんな当たり前のことがこうも深い言葉のように聞こえる理由を考えます。ひまなので。

人事とは

儒学における人事とは「自分にできること」です。

儒学では自分ができることの範囲内で、道徳的実践と学びを通じて、自分を完成させる。ことを目指します。これを修身といい、まあ自分を磨くことですね。

この「自分にできること」というのは個人の基準で、甘えや個々人の価値観(個人的キャパシティ)も含まれています。

人事とは「人間ができること」ではなく、「その人ができること」と言う認識です。

人によってはもう少しお前らできると言われることや、自分ならもっとやれると思うことでも

できていなかったり、意外とできていたり、自分の中にある全てのものを加味してできる範囲のことを人事と言います。

尽くす(盡)

盡これを常用漢字にすると尽くすとなるそうです。

この意味は簡単ですね。出し切る。空っぽにするって感じ。

99%ではなく100%って意味です。すべてです。

人事を尽くす

この2つを合体させると

「自分にできる範囲のことの100%を出し切る」って意味間違ってないと思います。

難易度MAXだと思いますが、自分で「やれることはやり切った!」と澄んだ心で言えたらそれは100%ですね。人事ですから。個人基準でいいんです。

天命

儒学で言う天命は宇宙のことです。一例としては左回りの法則だったり、フィボナッチ数列だったり、エントロピーの法則だったり、おれが無理矢理変えてやろうと思ってもできないことです。

そんなでかい話じゃなくても人事の及ばない範囲外のことは天命になります。

なので横に立っている人やその人の考えに対し自分の力で影響を与えられない範囲は、もう宇宙であり天命です。この文字を見ると常識的考えがこの考えを拒絶する感じがしますがよくよく考えるとじんわり納得できました。

あと過去や未来も天命の範囲です。というか人事の範囲外ですね。

人事と天命は隣り合わせですが絶対に犯せないラインがありますね。

待つ 聽

ここの待つはwaitじゃないです。誤解の原因になりやすいし、これがここの真髄でもある気がします。

はここでは「まかせる」と読みます。

本来の読み方は「聞く」「聞き入れる」。また「ゆるす」とも読むそうです。

「聴く」もこの字から来てます。

「聴」=「十四の心に耳を傾ける」とかいうのもありますが諸説あるそうで絶対的な根拠は見つけられませんでした。そもそも根拠なんてのはでっち上げることもできるからあまり実りのない話です。

え?「きく」って言う意味を持つ漢字がここでは「まつ」と訳されている?笑

なぜ「待つ」って漢字を使って「まつ」と読むんじゃなくて、

「聴く」と言う意味を持つ感じを使って「まつ」と読むのか。

そんな疑問がおれの中に出たので「きく」と「待つ」って合体させるとどういうニュアンスなのかなと考えました。

ここからはおれの考えです。要注意。おれの解釈ですからね。

ただ単純に「待つ」のと「きく」が+された「待つ」状態では

行動的にはどちらも受動的な意味ですが、精神的側面に違いがあります。

「待つ」は受動的行動、受動的姿勢に対し

『「きく」が+された「待つ」状態』では受動的行動ですが、天命が決めたことに対して受け入れる能動的姿勢を指してる気がします。

これって「まかせる」っていう言葉の意味に近くね?

結果が出た後の「受容、受け止める」までが『「きく」が+された「待つ」状態』には含まれている雰囲気があるように感じました。

なんでここでは聽と言う漢字を「まかせる」と呼ぶのかなと思いました。委ねる的なやつですかね。個人的解釈です。

なんかわかった?書いてる自分はスッキリする感じがしますが笑

天命を待つ

人事の範囲外の大きな力に逆らわず、争わず

聴きながら待つ、まかせゆだね、受け入れる状態でいましょう。

ってことですね。

天命が結果を決めるので、不安をもったり思いを馳せたりする事は、しないでおきましょう。

ってことですね。

はい、これもおれにとっては難易度MAXです。

わかっているけどそれができない自分もいます。

天命を待つだけにも人事を尽くさないといけないですね笑

けど全部出し切った後には不安や希望は出てこないのかもしれません。

まとめ

人事を尽くし天命を待つ。を深掘りしてみました。

人事を尽くすのも、天命を待つのもとても難しいことですが、本質ではあると思います。

中には、人事の外側に興味がありすぎる人もいます。

「誰々が何々した」「えーほんとー」

この会話は「人事を尽くし天命を待つ」と対極な位置にある人の会話だと思います。

日々自分ができることを100%出し切るように自分と闘い、負けた日も負けたことに悔しさを持ち、天命にゆだねる。これが個々のすべきこと。

そう言う人に天は味方する。なんて思うことはしません。それは委ねきれていない状態ですからね。

今日もおれはおれと闘い合い、100%に近づけられるように頑張ります。

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